想い出話


加部 康晴


<其の六>



「面白かった頃」

前回、黒崎昌一さんの人となりを採り上げさせてもらった。実は先般久し振りに、例の“長時間”を味わった折、

十数年前黒崎道場でよく行った、当時の東北隣県(山形、宮城、福島)トップクラスによる「会費制リーグ戦」の話で盛り上がった。

まず、当時のメンバーについて触れてみたい。



高沢則夫さん(現在は静岡市在住):当時の山形県トップクラス

河北アマ棋龍戦優勝により、出身地の青森県田子町から「町民栄誉章」授与は有名。

そして徹夜の
10分切れ負け将棋が大好きで、始まればなかなか終わりがなく、「最後の一番」と言ってから優に10番。

「本当に最後」から5番。相手と“指切り”までしての「本当に本当に最後」から3番くらいで漸く終わることでも有名。

そして何よりもユニークな人柄で心温かな好人物。棋風は高沢流独特の「力の振飛車」。

金銀を左辺に盛り上げる独特の指し廻しは力強かった。



西澤玄章さん:元全日本アマ名人(故人)/山形県の生んだ「アマ名人」

あの浅黒い精悍な顔を想い出す。地方に居ながらして、あの実力は凄いの一語。とにかく強い人だった。

よくドモリながらの感想戦と腰に巻かれた手拭が有名。
50代での早逝は惜しまれる。



大鷲将人さん(アマ名人戦全国準優勝):“東北の荒鷲”の異名を持つ当時の宮城県トップ。

非勢から捻り出す力は独特な力強さは豪快そのもの。よく、「黒崎さん、悪いけど熱いお茶一杯飲みたいなー」と、

開始前必ず言うのが特徴。黒崎さんの指示で、観戦のギャラリーが気を利かして出すお茶が、何故か必ずヌルいのが定番。

そして、「もう少し熱いのがいいなー...」と再度の催促も常套パターン。しかし無視され対局が始まる。



森田 甫さん:東北名人戦優勝実績

若き頃、斎藤銀次郎八段に入門修業経験があり、大局観の明るい本格派。何よりも感想戦が超有名。

なかでも凄いのが、他人同士の感想戦に乱入?うっかりしていると、いつの間にか席まで入れ替り(対局者は傍に立っている)、

適当なところで誰かが止めないと、永遠に終わらない感じになってしまう。よく大会で、「森田さん、切りがないから

いい加減なところでヤメてもらえませんか」と、必ず滞りにやきもきする人に運営の人から注意されてしまう。



白石錦伸さん:知名度は低いものの、実力的にはA級の県代表クラス

とにかく「将棋が好き」においては東北六県でも5指に入るだろうと云われていた。

そして“なかなかヤメナイ”という凄さでは高沢則夫さんと双璧を成す。将棋は才能溢れる振飛車の捌きと、

寄せの鋭さが特徴。そして集中力が並ではなく、よくタバコの火で髪を焦がすことが多かった。

更に気合が入るとタバコを強く噛むことで有名。



以上が常連メンバー、そして、

野藤鳳優さん:全国支部名人/朝日アマ名人戦挑戦実績

この人の将棋の実力は“
底”をもっている。但し、普段はそれを出さないところが実に上手い。

よく使うパターンでは、「将棋なんてどうでもいいんだよ。だいたい将棋ばかりやってるとアタマおかしくなるからさ」、と、

如何にもどうでもいい、という感じを周囲に振り撒く。しかし、それを真に受ける人は今や少ない。

それと感想戦での“とりあえず流”も有名。代表的なものが、「いやー、ひどかったですね〜。こっちが全然駄目でした。

強いですね〜、余程投げようかと思ってましたよ。とにかくひどかった!じゃ、そういうことで、

また教えて下さい。どうも!」と、さっさと切り上げるところが巧妙。初体験の人は「???...」となる。

そして、「さっきの将棋どうだったの?」と訊くと、「あ〜、あんなもんだよ、ケタケタケタ」と、すでに別人となる。

とにかく面白い人、という形容にピッタリ。


そんなことと裏腹に、ここ一番の集中力と強さは半端じゃーない。棋風は巧みな手厚い受けが特徴。

本当の力を知りたければ、一晩ジックリ盤を挟めば分かるだろう。尚、口では適当な事を言いつつ、

目だけは真剣になっているギャップが見ていて面白い。



黒崎昌一さん:指導棋士/58年度全日本オープン戦準優勝実績

まず前回で紹介した“天才的時計早押し”は神技。これには大方一回はアツクさせてくれる。

振飛車の軽快なる捌きは実に巧妙。そして中終盤の手作りが上手い。

「奨励会を廃めた後、野藤、加部両氏に鍛えてもらって地力が付いた。」と謙遜はするものの、

それも強ち当たってないこともない。今でも実力は十分維持されているだろう。




今考えてもこうしたメンバーのデスマッチなど、そうそう観られるものじゃない。

そこで、どこでどう知ったのか、結構ギャラリーが集まったもの。

なかには県代表クラスで是非参加したいというHさんがいた。Hさんは将棋も相当な自負と自信をもった好漢。

又、一方では“角落”なら、という目先のリスク回避優先どころか、あわよくばその手合なら何とかなるだろう、

といったプライドのない?人もいた。前者なら兎も角、むろん後者は相手にもされない。

普通、こんなメンバーと総当りで指せる機会などそうそうないもの。仮にリスクは授業料と捉えるべきだろう。

そもそも損得に拘り、価値観の本質すら見蕩れないレベルでは話にもならない、が、メンバー共通の思いであった。



当初、地元県代表クラスHさんの参加希望には、“ちょっと関係ないでしょう”という理由で大方渋っていたが、

本人の強い申し出もあって、「しょうがない、まぁいいか。その返し、後でグズグズ言わないでよ。」といった感じの

経緯であった。ところが、口ぶりからして薄々気付いていたが、Hさんはひとりで大きな勘違いをしていた。

それが周囲にも感じとられてしまったのが、第3者同士の感想戦に対等らしき口を挟み、

「野藤さん、ここはこう指すものでしょう。」「西澤さん、筋はこうでしょう。」とか、偉そうにやったものだからタマラナイ。

当然、「アンタさっきから誰に言ってんの?」となる。結局、これが火に油を注ぐ結果となり、

当初の問題外=お客さんという位置付けから、一転、火ダルマ状態になってしまった。

必然当初の自信など吹っ飛んでしまったものの、鍛えられた、という意味では又とない収穫であったろう。



戦いは20分切れ負けが基本。こんなルールであっても、このレベルともなれば十分鑑賞に価する将棋になっていた。

もっとも、最終盤は時計のタタキ合いが常。よく興奮して時計が台から落ち、「ちょっとマッテ!」と、

必死に時計を戻した途端、黒崎さんあたりに「ハイ、落ちましたね!」と冷静に言われている場面も多々あった。

落とされた側の野藤さんが「ホントかよー!」と、本気で怒っている光景が未だ目に浮かぶ。

また、よく双方残り1分を切った時点で、どっちが先に落ちたかで揉めることもあった。

だいたいそのパターンは、高沢さん、森田さん、白石さん、そして黒崎さん絡みが常。



考えてみれば、いい齢した男達が“落ちた落ちない”で必死にやりあっているのだから、

普通の人がこの光景を見たら、「バカみたい」と思うだろう。


確か、森田vs黒崎戦で、終盤気合余って強く時計を叩いた瞬間、押す所のボタンがどこかへ吹っ飛んでしまった。

飛ばされた側の黒崎さんが、「それはないでしょう!」と顔を真っ赤にして、周囲から盤の下まで手を突っ込み必死で探している。

とにかく、そのボタンがなければ押せないからヒドイ。途中、「ちょっと待って!」と騒ぐものの、森田さんは知らんぷり。

やっと見つけて慌ててボタンを付けようとするが、焦っているものだからなかなかちゃんとセット出来ない。

そんな光景を皆が笑い転げて見ているのだから凄い。ようやくボタンを付け終えた後、今度は森田さん側のボタンが

凄い勢いで吹っ飛ぶ!「こんな時計じゃ駄目だよー」と怒りながら必死で探す姿が面白い。こうして将棋を指しているのか、

ボタンの飛ばし合いか分からない戦いがよく起こっていた。


いつだったか、西澤さんがいつも持参している“勝負用”の手拭が見当たらないと、

座布団や盤の下を必死で探していたことがあった。散々あっちこっちとやっているうちに、

トイレから戻った高沢さんが「どうかしたの?」と、手拭らしきで顔を拭きながら訊いていた。

そして高沢さんの首に普通に巻かれていた手拭こそが、先程から必死で探していた西澤さんの手拭。

西澤さん真っ赤な顔で、「そっ、そっ、それ、俺んじゃねーか!」と、ドモリながら怒りを顕、

全員が腹を抱えて笑うしかなかった。「あっそうだったの、それにしても随分汚い手拭だなー。

西澤先生、こんなの使ってると病気になるよ、アハハハ..」と笑いながら、

次いでとばかりに首筋を拭きながら「ほれ、」と返していた。



同じような事が扇子でもよくあった。探していた扇子を相手が平然と使っているなどしょっちゅう。

とにかく塵ほども悪気はないのだが、夢中になると何がなんだか分からなくなるところもこのクラスの面白いところでもある




次回へつづく/其の七へ



其の一 「センセーショナルな出来事」
其の二 「信じ難い反響」「躊躇せぬ居直り」
其の三 「母のこと」「後進への力添え」
其の四 「熊坂学君のこと」「斎藤貴臣君」
其の五 「黒崎昌一さんのこと」

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